無の庭

模索し続けて辿り着いた新しい時代の庭造り

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景観とプライバシー

近隣住居の壁色に近い色で塗装し景観に配慮しました。玄関は直接見えないように配慮し、西日対策として樹木を植栽し、 プライバシーは守るが、気配は感じられるように設計しました。
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安全と調和

接面道路はバスが行き来しますので、境界を設置し安全を確保しています。当社オリジナル竹垣と木目調ブロックの温かみが圧迫感を与えず景色に調和させています。
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メンテナンスと縁側的空間

古材の板石を敷設している為、雑草処理などのメンナンスはかかりません。無機質なコンクリートではないので親しみが沸く庭園空間が形成されます。また駐車場でもありながら、近所とのコミュニケーションスポットでもあり内と外をつなぐ、現在の縁側的空間でもあります。
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人工美と自然美

敷石は自然石ですので、同じものはなく、世界に一つしか存在しない素材です。自然の物ですので一つ一つ形も違います。個性を見極めていくのが難しいですがそこが庭師の技量と感性になります。不規則に見えますが、ロジックに基づいて構成された人工美と自然美の共存です。雨に濡れると柔らかく光り輝きます。アンティークの良さはお金では買えない時間軸の価値を見出してくれます。
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無の庭ができるまで
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無の庭ができるまで

はじめに

昨今、社会状況から建築や庭園を維持管理できず困っている方が多く、メンテナンスができるだけかからず、とは言え無機質で殺風景でもない庭園空間を望まれるようになりました。今回、これからの新しい時代の庭造りモデルとして、不要な物は無くすが大切な物は残す”無の庭”を実験的に作成しました。

玄関前の目線をそらす工夫

ファサードは看板兼門柱を作った事で玄関へ行く目線を道路からそらし、西風を遮ると共に看板へ目線を誘導しプライバシーを確保します。

看板兼門柱はマットな色合いで落ち着いた雰囲気を産み出しました。灯篭は単なる添景物ではなく西方の方角を献灯し、お彼岸、お盆には灯をともせるようになっています。

地面を整地し転圧していきます。仕上るとトラックが乗れるくらい頑丈になります。

整地ができると現物を合わせていきます。設計図は描きますが2次元から3次元にしないとわからないこともたくさんあります。現場で現物を見て現実的な対策をとっていく3現主義が庭師にはピッタリです。雨などを考慮した機能性はもちろんの事、美観や素材お施主さんの思い、想い出も含めて創造していきます。

非常に地味ですが一つ一つのオペレーションの積み重ねです。ドットが多ければ多いほど高画質になっていきます。工場や海外で大量生産するものではなく、世界に一つだけの材料と環境でオンリーワンの物を産み出していきます。成熟した社会では物が溢れていますが、本当の価値を追求していきます。

頭の中に描いた理想像に近づくよう作業していきます。庭師は技術、経験、体力が必要ですが、内面からあふれ出るものを表現出来きれるかという所が最も大切かと思います。コンセプト倒れにならないよう自分との勝負です。

材料は天然のものが多く、アジャストしていく必要があります。材料だけでなく、天候、素材、環境など、すべての条件をクリアしてこそプロフェッショナルとしての価値が生まれます。

重いもので100kgくらいまでは手作業で行います。体力、知力に行き詰った時がイノベーションのチャンスでもあります。様々な道具、知恵を養います。まさに温故知新です。

冬季は日が暮れるのも早く、庭師の腕の見せ所です。現代社会ではどこでも明るく、陰影がありませんが四季の寒暖、日の出、日没など自然環境や変化を感じながら順応していきます。

石の加工

機械や道具も使いこなします。自分たちの自己満足ではなく使われるお施主さんの気持ちになって考えます。上記は滑りやすい石を加工し、凹凸をつけています。

人が成長するように庭も成長していきます。変化し時を重ねる物と普遍的な価値を伴ったものが庭園空間だと考えています。創造することは産みの苦しみと育ての喜びをもたらしてくれます。

日本の庭の醍醐味は人工と自然の中間領域、いわゆる曖昧さを取り入れながら美観、機能、精神性をおりなし魂を注入できるかどうかが重要です。こちらの葛石は目線を玄関に誘導する機能と美観を含め、計算された人工の直線美、自然の曲線美の結晶でもあります。

自転車の運転と同じで感覚的な部分は自らの気づきが必要となります。仲間と同じ感性を持ち、阿吽の呼吸で行います。言わずとも感じる感性は幽玄の名のもとに平安貴族から現代j-popの歌詞にまで受け継がれています。昨今は忖度と言われ悪い印象が強調されましたが、誇り高き能力だと思います。

完全な物はありません。自分と向き合うという前時代的な事が庭師の日常でおこります。正しいか正しくないか答えは自分で気づいています。自分を律することが道徳であり、”道”=”道徳”ではないかと思います。華道、茶道、剣道、柔道、相撲道などのように”道”は型を通し自分と向き合い続けます。一般の方にはわからなくてもわずか数センチでの調整を妥協せず続けます。

変えてはいけないもの、変えなければいけないもの、庭は生き物です。不完全な自然からインプットし庭師の感性によりアウトプットしていきます。

石の山から材料を選別していきます。数千万年の時をへた石に魅了されたのは古代人も現代人も同じかもしれません。まさに唯一無二の世界がうまれていきます。

石、土、水、光、風など育まれた物を活かし、生かされてきたものがデザインで土地の声かもしれません。その場所、その時、その人々と限定された時に価値として生まれる。他に代えれない価値があり、石に意思をこめていきます。

自らの内面から湧き出る物を表現

型やロジックはあるが技術を越え自らの内面から湧き出る物を表現しなさいと師匠に言われた事が思い出されます。

重機、人力、古来からの知恵を集結させていきます。
危険も伴うので、チームワークと仲間同士の信頼が大切です。

縁側を感じさせる空間を

庭は生活必需品ではありません。ただ単に美しいという飾りでもありません。機能美と美観を兼ね備え、時代のニーズをくみ取り、歴史と共に変化してきました。 伝統工法を駆使しながら現代社会にマッチさせていく事が大切です。ガレージでありながら庭園空間である。無機質ではなく温かみがある。プライバシーは守れるが、気配は感じられる。そんな京町屋のような空間は 近隣の方との共有空間でもあります。”無の庭”では縁側のような空間を目指し設計しました。

後世にまで受け継げる庭造りを

10年ひと昔と言いますが、日進月歩で社会環境が変化していきます。科学・技術・医療の発達に戸惑いながら何故、庭は必要かと考えることがしばしばあります。無意識の中に欲する存在でありながら価値を確立できないケースもあります。持続可能という言葉は形が変わっても進化しながら思いや志、魂を受け継ぐことかと思います。

小スペースから自然の恩恵を

”無の庭”は生まれるべくして生まれたデザインを継承しつつも、現代社会の循環に入り込んでいくための空間です。わずかのスペースに生まれた緑の空間に土や水、空気や太陽の恩恵を思い出し、情報化されたバーチャルではないリアルの世界で自分自身と向き合います。日常空間でありながら非日常空間を兼ね備えます。

庭を通して生活を豊かに

我々庭師は、まずは知り、学び考え、試行錯誤お施主さんの潜在イメージを具現化し、内面から表現していく職種だと考えています。庭を通じ、生活を豊かにするお手伝いがゆくゆくは社会貢献につながればという壮大なテーマで取り組んでいます。

素材の持ってる個性を活かして

谷崎潤一郎の陰翳礼讃に「掻き寄せて結べば柴の庵なり解くればもとの野原なりけり」とありますが、夜間に限らず陰影や石や樹木の持っている個性を活かし日本古来の奥深さを追及します。

「無一物中無尽蔵」

この言葉は我々が最も大切にしている言葉で、人間は誰しも生まれた時は何もなく、無いという事は無限大の可能性があるという事だと思います。 我々庭師はどんな所でも自分の心を”無の庭”とし大切な物を守っていきたいと思っております。

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